コミュサーブログ第498回目。
青森市に大雨警報出たり、翌朝には地震があったりで、
ビックリ続きのくどうまことです。
暦の上では、もう秋で誰もいない海。を見ていた午後
を過ごしている今日この頃のくどうです。(ウソです。)
さて、去年の今ごろはまさにその『誰もいない海を見ていた午後』を
松任谷由実の『Halo my friend』を呟きながら、
男ひとり、合浦公園で野点をしていました。(ソロ抹茶、なんて笑)
一昨年も、似たような感じだったような?
お盆前後のお休みに展覧会を見に行ったような…?
今年?
『エバンゲリオン展』は見ないまま会期終了しましたさ。
でも『エヴァねぶた』は見ることができたので、トントンといったところかしら?(笑)
『#おひとりさま読書会』と銘打ってここ最近は活動(?)しているオイラ。
必然的に『読みたい本』『読んだはずの本』などいろいろあって、
この時期と言ったら『読書感想文』なんて学生時代のイベントもあったなぁ~(笑)
課題図書だった『車輪の下』はあまり理解出来なかった記憶が…(笑)
そして宿題を終わらせることも無く始まる
『夏休み明けの始業式』の日はと~~~~っても憂鬱でしかたがなかったものだ。
と、まぁそんな『くどうのこと』はさておき(笑)
今回の『#おひとりさま読書会』は『これから読みたい本』として
この本をご紹介したい。
『9月1日 母からのバトン 樹木希林・内田也哉子 共著』
ここ数年、この時期の話題に取りざたされているのであえて詳しくはしないが
とても痛ましい。
それまでは中川翔子さんのメッセージやアピールは知っていた。
でも、約半年前の2月の真夜中、ラジオ番組(J-wave ダイアログラジオ)から流れてきたひと言が印象に残っていた。
『母が、窓の外を眺めながらなにか呟いていて。耳を澄ましてよく聞くと
「死なないで、ね…どうか、生きてください。死なないで、死なないで」って。』
ゲスト出演されていた内田也哉子さんが、母・樹木希林さんのエピソードとして話された。
それが去年2018年の9月1日のことだったとのこと。
『今日(9月1日)は学校に行けない子どもたちが大勢、自殺してしまう日なの』
その二週間後に希林さんは亡くなられて。
真夜中の明かりを消した暗い部屋の中で聞いたこのエピソードが印象深く残っていた。
今月はじめに出版されたこの本は、生前の希林さんのインタビュー(2014年の不登校新聞に掲載『難の多い人生は、ありがたい』)やトークセッションの再編集や、内田さんが希林さんの想いをたどり、いろいろな人の話を聞いていく…という内容とのこと。
青森では、夏休み明けが早かったからか、はじめ『9月1日の悲劇』について、あまりピンとこなかったのが、くどうの現実。
現実を知ってしまうと、そのあまりの痛ましさに落ち込んだ。
苦痛の日々に戻されることに傷つき悩んで事に。
最近SNSで『#学校ムリでもここあるよ』を知った。
青森サニーヒルももちろん登録している。
サニーヒルの他に青森市や弘前市、五所川原市、県南地域だと、近い所で久慈市の団体が登録している。
去年、鎌倉市図書館の司書さんのツイート『#図書館に逃げてもいいよ』が物議を醸した。
その際の論点が『それだけでは解決しない』といったもの。
『逃げる』という言葉にネガティブイメージがあるために、世間ではさまざまな意見・批判がされていたようだが、必ずしもすべてがそうだとは思わない。
ただ、その『問題に対する答えの方向性』が、世間一般的なものとは違っているだけのこと。
そう、『道を違える(たがえる)』だけのこと。
それぞれに進む道があることを間違えてはいけないと思っている。
それも『多様性』のひとつなのではないのだろうか。
また、『自分で考える時間、もしくは相談できる人を見つける時間が必要』なのではないかと、
オイラは思っている。
もちろん『その時間』は人それぞれで、早い人もいれば遅い人もいて、
時間を掛けても自分一人では答えを見つけられないこともある。
けれども、ひとりで悶々としているよりも、誰かに話すことができたなら、
出来なかったとしても『一人じゃない』と安心することが
できたなら、悲しい答えを選ぶ可能性は減らせるのでは、
と思っている。
『#8月31日の夜に』と、つらい気持ちを『分かち合う』というか『受け止めてもらう』というか『寄り添う』というか、具合よくハマる言葉が出てこないのだが、そんな風に不安を抱えた子たちに呼びかけていた番組が昨夜放送されていた。
その番組のことは、すべての子たちに伝わっていなかったかもしれない。
それでも、ひとりで悩み苦しんでいるかもしれない。
それでも『学校がすべて』というひとがいるかもしれない。
『勉強はどうする』というひとがいるかもしれない。
(あくまで個人的には、『自身に必要な事』はどんな場所であっても勉強できる、と思っている。あくまで)
でも、少なくとも『ひとりではない』ことは確かなのだ。
『いてもいいよ』といってくれる場所があり、そう言ってくれる人が居ることを知ってほしいのだ。
そして、その場所のひとつが『あおもりサニーヒル』なのだ。
話は戻るが、去年の今日(9月1日)、病室の窓から外を眺め、『傷つき悩み苦しんでいる子たち』に気持ちを寄せ、静かに祈っていた人が居た。
その方のお嬢さんが、その想いの『バトンを受け取った』という。
その想いをたどるドキュメンタリーのような本になった、とは編集者さんの言葉。
そして、時と場所は違えども、同じ気持ちの人がたくさん居る。
また『子どもたち』のことを案じて、祈っているひとが居る。
今日は9月1日。
8月31日の夜は明けた。
『ひとりではない』ことだけは知っていてほしいと思う。
今回はくどうまことでした。