コミュサーブログ第522回目
いつもありがとうございます、くどうまことです。
今シーズンは『雪』が少なく、このまま花粉シーズンへと
入ってしまいそうですね。
毎年の事ながら、『自分は花粉症ぢゃない(笑)』と言い聞かせながら
かすかな目の痒みと闘っているくどうでもあります。
さて、そんな雪の無い冬ではありましたが、世間では『新型コロナウィルス』の
話題で持ちきりですね。
大きなイベントや会合、宴会などが自粛や中止になり、なんとなくドンヨリとした
雰囲気となっています。
『コロナ疲れ』
『アフター・コロナ』
といった言葉がここ最近出てきました。
また、いろんな情報が入り乱れ、振り回されることになった…
なんてことの無いように、お身体大事にしてください。
手洗い、アルコール消毒が有効とのこと。
インフルエンザ予防の意味も込めて。
ここ最近の印象に残った言葉のひとつが、
『濃厚接触者』
という言葉。
この言葉で思いだした本がある。
『おとうと』 著 幸田 文(新潮文庫)
前回ご紹介した『小石川の家』の著者、青木 玉さんの母親で、
明治の文豪、幸田露伴の娘。
晩年の露伴の看病と口述筆記を担ったことで、
文才が磨かれたといわれた女性。
それまでエッセイスト的に文章を書いてきた人の二作目の小説。
あらすじとしては、
女学校に通いながら家事全般をこなす主人公『げん』と
学校(旧制中学)になじめず、いわゆる『不良』と呼ばれ、
結核を患ってしまう弟・碧郎との日々の話。
同級生の怪我の『加害者の濡れ衣』に始まり、学校や周りの大人の『眼』から
逃げるように上級生のグループに引き込まれて…
『ちょっとヤンチャした弟』の武勇伝(笑)
と今では笑って話せることになりそうなのだが、
『結核』になってしまったことで、状況は一変する。
今でこそ投薬で治る病気になった結核。
当時としては治療法のないまさに『不治の病』
日々落ちてゆく体力と気力。
人との関わりが極限までそがれ、かといって何もできる訳でも無く…
唯一の治療法と言えるのが、『空気が良くて、光あふれる場所での静養』
それが出来るのが『サナトリウム』と呼ばれる場所。
人との関わり合いを極力避ける生活はなんとなく、今の状況に似ている気がする。
『人がまだ免疫を持たない新種の病原体である』ことへの恐怖感と
『まだ』決定的な治療法が無いにことに対する恐怖感。
そう、すべては『まだに対する恐怖感』に支配されている感じがする。
でも、そこで過敏になってはいけないとも思う。
物語の後半、
『白って色は病人や家族には、どんな感情を起こさせるか、御存じですか?無常にひとしい色です』
主人公と入院先の医師とのやりとりや、天井の照明の半分に覆いが付けられていて…
といった、病院の描写に去年、『アルヴァ・アアルト もうひとつの自然』展で見た
『パイミオのサナトリウムの病室』の再現ルームを思い出した。
『患者が目にする時間が多い空間が天井』で、
『天井の照明が直接目に入らないようにした』
と、自身が入院した際に気付きデザインしたという、『パイミオのサナトリウム』
病室というよりはビジネスホテルの一室といった感のある色合いと壁面に付けられた照明。
今この作品を読み終わってから、改めてこのデザインを見ると
先の見えない状況で患者さんはどれだけ慰められたことかと思う。
とかく病人はワガママを言う、と言われる。
主人公も、弟から『島田の日本髪を結って欲しい』(花嫁さんが結うことが多い日本髪)
『このうどんを一緒に食べて欲しい』といわれたりして…(弟が主人公を試すために言ったことだった。)
この時点で、主人公は彼の病気『結核』の濃厚接触者である。
そしてこの後にある、別れの時。
あくまでも『白い』病院の景色の中、扇子に描かれた
ケシの花の赤い色が印象に残る幕切れ。
そして、今朝の窓の外を見ればうっすらと積もる、『春の雪』
どうやら、本の中の白さが外に溢れたかのように白く静かに見えたのでした。
少し切なくてやるせなさの残る本でした。
皆さんの日々の暮らしがご無事でありますように。
今回はこの辺で。
くどうまことでした。