コミュサーブログ550回目。
時間がすぎるのが早く感じる、くどうまことです。
ここ数週間、涼しくなった後にかなり暑くなったりして、
身体がついていかない感じで、夜はウツラウツラと舟を漕いで
(居眠りのことね)しまう事もしばしば。w
そんな中、今回読み込んでみた、『人魚姫』
なんで、彼女が王子に選ばれなかったのかを考えるために、今回は【スティーブン・コリン/英語訳を江國香織さんが翻訳】したものを読んでみた。
タイトルがまず、『小さな人魚』
だから『リ○ル・マ○メイド』なのか。
1番の疑問は、声を失い代わりに足を得た後の彼女が、なんの意思表示をしていないこと。
だって、『声を失った彼女には〜中略〜とてもやさしく、
でもとても悲しげに、深い色の目で彼を見つめました。』(P55/7行目〜)
初対面の相手にガンつけてるだけだから、彼女の気持ちは伝わる訳でも気付かれるわけも無い。
でも、見方を変えると『言葉が通じない世界』に行ったらこうなるよね?
身振り手振りで伝えようとしても、疲れてしまえばそうなるだろうなと思う。
いまだに意味わからないのが、『王子の部屋のドア外のクッションで寝る事を許され』るくだり。
普通、ドアの外は廊下なはず。そこのソファやなんかの上では無く、クッション。
つまり『廊下の床で寝ろ』って事。人に対する扱いでは無い。そして、彼女はその事にちっとも気付いてないのが悲しい。
例え、『海の世界のお姫さま』だったとしても、彼女の素性を知らない王子達にしてみれば、『異世界の人』
中世ヨーロッパ世界のアジアやアフリカのような国々の人の様に、『人の姿をした、何か』でしかなかったのだろう。
だから、『ドアの外で寝ることを許す』事には違和感がある。
これは人に対する扱いじゃない。
王子は彼女と結婚する気がまったくないのは、当然。
自分(王子)たちと『同じ世界の人』でない人魚姫は『人』では無いのだから。
彼女が浜辺からお城まで全裸で歩かされた事からも、人ではなく『ド○イ』のように扱われていたのではないかと思う。
そして、『小さな人魚』な名前も無いまま、『男子の服装をして馬に乗ったり、足を傷だらけにして山に登ったり』している。
王子が彼女を側に置くのは、一種のステータスだったんだろう。
余りにも残酷である。
そもそも、『永遠のたましい』に憧れ、『恋に恋する』人魚は、王子はじめ『陸で暮らす者』たちとの『暮らしてきた文化』が違うから気付かないし、判らない。
『小さな人魚』にお城での暮らしや文化を教える人はいなかったと思う、多分本当の意味で。
そして、『永遠のたましいはキリスト教徒でなければ得られない』からこその憧れなのか。
初めは『人魚姫が王子と結ばれる方法』を見つけるために物語を読み直してみたのだが、意外と『闇』が深く、とても残酷な話だった。
そして、海の泡になったはずの人魚姫は、まだ永遠のたましいを得るために三百年、風の精霊になって子どもたちの笑顔を探している。